手探りで自然に近づく
葉祥栄は私が最も尊敬する建築家の1人だ。 私は九州で建築を学び始めたが、まずは誌面を見て、葉の建築が持つ観念的にも見える作品の抽象度に驚き、熊本の小国町を中心に九州に点在する建築を実際に見て、その素材やディテール、構造の持つリアリティに感動した。そして昨年、葉に初めて直接会って話を伺う機会があった。今回CCAからは、研究者としてではなく、葉建築に影響を受けた設計者として、コンサルタントを求められた。そこで建築家としてはまだまだ駆け出しである自分が、ある一線の建築家が設計にかけた膨大な量の情熱=アーカイブから感じたことについて書き記したい。 葉はインテリア、プロダクトのデザインからスタートし、住宅、体育館やコミュニティセンターなどの公共施設までこなした。オブジェのようにキュービックで内的なものから、徐々に外部環境と呼応する、大らかな建築空間を設計を行なった。そしてプログラムとしての公共性が高くなるにつれて、ガラスや竹など、様々な素材との対話を重ねながら、 自然に近づくような自由で開放的な空間を追求した。 この時期の建築の主題を葉は「カリステニクス」と名付けている。CCAにアーカイブされた資料はおおよその時期の作品群で構成される。スタディ過程のドキュメントや模型写真、竣工図などファイルの大きさも素材も多様なアーカイブからは、「カリステニクス」=「柔らかい建築」を追い求めた葉事務所の熱量が感じられた。
「ギャラクシー富山」は自由曲面を持つ特徴的な屋根を、構造的な最適解によって設計したプロジェクトだ。「小国ドーム」で共同した、松井源吾氏の「光弾性」による応力解析にインスパイアされ展開したものであり、積雪荷重を鑑みた上で決定された複雑な二重の曲面を持つ。
屋根の立体は、高さを示す膨大な数値と共に屋根伏図で示される。コンピューターを用いた解析結果を情報として図面にプロットするのは人の手だった。また応力解析を身体的に知覚するために模型が重要な役割を果たした。A3ファイルの中には、応力解析図と共に、メッシュで作られたコンター模型を捉えた写真がある。葉は以前この「模型が作り出す縞状の陰影と光弾性の近似」にとても興奮したと述べていた。いくつものアングルで屋根とその影を捉えようとした写真があり、ページをめくるごとにそのときの興奮が伝わってくる。
プロジェクトのタイトルにある「ギャラクシー」は屋根の内部のパースペクティブから着想している。屋根の内部はもちろん人が滞在する空間ではない。しかしながら葉は、構造的合理性を持った屋根が内包する銀河のような幾何学世界に新しい空間を見出し、その後実践を基に展開した。かなりの量のプリントアウトされたパースペクティブはそれ自体が設計を把握するツールであり、またそれ以上に、当時の葉事務所が誰も見たことない風景の創造に向かう中で、手掛かりを探そうとした痕跡そのもののように見えた。
〈プロスペクタ富山〉では、コンクリートで作られた観念的なキューブの輪郭から霧が発生し、それを観測する展望台としても機能している。「ジャパンエキスポ富山」のテーマであった、「クリスタルパレスへの軸線」に沿って配置計画が決定された。ここではスタディの過程にあった「宇宙の中に浮かぶキューブ」のコラージュに目を引かれた。自然現象としての霧を発生させるキューブは、宇宙を漂う船として構想されていたようだ。ギャラクシー富山同様、葉が考える「空間」は地球に留まらず「スペース(宇宙)」にまで拡張していた。
葉はここで「磁場」についても言及している。宇宙の中で漂う地球がどのような傾きで動き、そこで生じる磁場、霧や虹などの自然現象を、建築を通して知覚しようとしていた。〈プロスペクタ富山〉は、水が豊かな富山という環境において霧を発生させる装置であり、宇宙において地球がその内部で様々な自然現象を発生させる関係と入れ子の構造になっている。
〈小田原体育館〉は、〈ギャラクシー富山〉の屋根をさらに展開させたプロポーザルコンペ案だ。ここでは〈ギャラクシー富山〉の屋根における上下の起伏の中心にある「水平線」を消失させている。さらに「自然な屋根」をつくるために、平面における矩形の端部の断面が曲線になっている。
プレゼン資料にあった、断面を表した曲線のダイアグラムは、ミミズのような環形動物、あるいは書家が描いた滑らかな一筆書きのようにも見える。柔らかなカーブを描く軽やかな屋根がトラス状の柱で支えられた全体形は、それまでの建築とは大きくかけ離れた、自然に一歩近づいた成り立ちを描いている。
熊本小国に位置する〈グラスステーション〉では、キールアーチによる大胆なコンクリートの架構と、フレーム間を充填する耐火ガラスの膜屋根を実現した。向かいに建つ原田コンクリート社(葉デザイン事務所設計)がクライアントであり、小国の玄関口として、周囲の自然景観と呼応する役割が求められた。 自由曲面はここでもまた構造解析によって最適な形状を獲得している。屋根伏図に現れた、水色の色鉛筆で着色されたガラス面には膨大な量の、高さを示す数値が手で描き込まれ、ドローウィング自体が艶かしく有機的なものに見える。
資料には進行する現場の記録写真もあった。曲面状の木製型枠にコンクリートを打設するシーンなど、20年以上前にこれらが実現できていることに驚いた。私は学生の頃(2004年)、伊東豊雄事務所設計の「ぐりんぐりん」の建設現場で模型製作のアルバイトをしたことがあり、その時に自由曲面のコンクリート打設がいかに難しいかを学生ながらに体感した。それより10年以上前に、九州という地方で、小さなアトリエ事務所と地元の工務店が一致団結してこの難しい工事を成し遂げていたことに感嘆した。
設計、施工の過程において、いくつか散見されたFAXによる葉事務所とコラボレーターとのやり取りはスリリングだ。全体の剛性を連続させるため、ガラス割の方向を反転するスケッチを見つけた。構造事務所、膜構造のメーカー、躯体防水コンクリートに優れた技術を持つ工務店、ガラス施工の専門家など、全てのエキスパートがこの建築のためにタッグを組んでいた当時の状況が想像できる。
〈内住コミュニティセンター〉は、葉本人がかつて影響を受けたと語っていた倉俣史郎の「K-SERIES」のような、ハンカチをモチーフとした造形に見える。ところが当時の設計スタッフにもヒアリングしたところ、葉本人はあくまで編み込まれた一枚の竹型枠がつくる自由な形から着想したそうだ。その仕組みが構造的合理性のもとコンクリートによって補完され、ひとつの立体として立ち上がっていくのだが、葉は最終的に現れた造形よりも、そのプロセスに興味を持っていた。
プロダクトとインテリアからキャリアを歩み始めた葉ならではの大胆な建築は、照明器具のようなプロダクトと建築の関係について考察するのに適した題材に思える。近年、建築設計事務所においてよく使用される3Dモデリングには、元々は工業デザインを主流に作成されているものがある。倉俣の「K-SERIES」からおよそ20年後に実現した竹型枠とコンクリートシェルによる「ハンカチ」は、プロダクトと建築におけるスケールの違いが、実現するための技術と時間の差によって明快に表れている。クレーンで吊られた竹型枠にコンクリートを打設してできあがった、重力に反し浮遊しているように感じるこの建築のある種の異様さを、不定形の平面にプロットされたおびただしい数の鉄筋が現していた。
〈筑穂町内野の高齢者生活福祉センター+内野児童館〉も〈内住コミュニティセンター〉と同様、竹型枠を用いたコンクリートによるシェル構造の屋根が特徴的だ。天井伏図にプロットされた地場産の竹型枠は、打設後に残置されることでコミュニティセンターと保育園を内包する柔らかな仕上げとしても機能している。施工上の合理性や経済性に強い信念を持っていた葉は、建設プロセスと仕上げの関係までもゼロから思考し、オリジナルなものを考案していた。
屋根を薄く見せる効果もあるステンレスの製作樋の詳細図からは、雨水の流れをきちんと確保するために、各所の断面計画によって不定形な屋根の勾配を一体的に考えながらデザインしていた様子が伝わってくる。この建築は必要な機能を大らかにプロットできる自由な平面と、そこに生じる支点によって屋根形状が自然と決定されていくのだが、ここでもまたその実現には、スタッフと一丸となって、その「手」で試行錯誤しながら図面上に膨大な情報をプロットしていく過程が必要だった。まだ3Dプリンターなど無い頃に、デジタル(情報)はアナログ(身体)によって架橋され、建築となっていった。
パラメトリックな思考による自然との対話
アーカイブには葉自身のスケッチはほとんど見あたらない。これは物事の関係性、変数の設定によって建築が生成されるというパラメトリックな思考によるものでは無いだろうか。例えば〈小国ドーム〉における「間伐材の使用」や、〈ギャラクシー富山〉における「積雪荷重」、内住や内野における「地場産の竹型枠」など、その土地に特有の素材や条件を変数として取り込むことで、建築のかたちを規定しようとした。 またスケールレスな空間認識も特徴的で、〈プロスペクタ富山〉のように、宇宙と対話する手段として建築を捉えていたのではないだろうか。人間のスケールや機能は最低限満たすものとして設定され、環境と呼応する中で、空間の役割や形状が決定されるというプロセスが最優先されている。
「自然に近づき、自然を真似る」、これは〈ギャラクシー富山〉の設計概要における葉の言葉だ。葉は経済学を経由してアメリカでインテリアデザインを学び、そこから実践というトライアンドエラーの中で建築の探求を行なった。また熊本を出自とし、独立後も福岡を起点としたことで、常にオーセンティックな建築を身体的に感じ得る環境にいたわけではない。ただ九州という日本の西端において、1人根源的な建築を探求し続けた。そうした状況の中で、周囲の環境や与件に対しイノセントに、かつ合理的に呼応する建築を実践し続けた。そして最終的に行き着いたのは「自然」であった。「カリステニクス」=「柔らかい建築」は、人間が自然と「対峙」するのではなく、コンピューターと手を駆使した、キャッチボールのような「対話」によって繰り返しスタディされた。
世界の中心
私が葉に個人的に会う数年前に、ある大学で彼のレクチャーを見たことがあった。これまでの作品を振り返るもので、自分が信じた世界観を全開に表現していた。レクチャーの終盤、質疑の時間に何人かが手を挙げた。相手のレベルに合わせるという考えは葉には一切なく、真っ当に答えるというよりは、次々と自分の話したい内容を披露していた。つまりほとんど噛み合ってはいなかった。私は初めて直に聞いた葉の言葉全てに感動していたのだが、その噛み合わない質疑の終盤、思い切って質問してみた。「葉さんがつくる建築はいずれも根源的な強さを持っていて、私はそれに惹かれました。福岡という地方で活動していく中で、世界との距離感はどのように感じていたんでしょうか?」この質問に対しては、葉の答えがダイレクトに返ってきた。「自分を世界の中心だと考えればよい。君の足元が分水嶺であってそこから水が流れていく。」葉は世界の中心にいるという信念と共に自然に近づこうとしていたのだ。